2026年 2月の星空

| 東方最大離角直前 の 水星 月齢は1.9。この時の高度は13.568° 水星の光度は-0.5等、高度は9.298° 金星の光度は-3.9等で高度は1.306° 月のはるか上方に土星があるが、写野外。土星の高度が下がるのを待つと金星が山に隠れる 地球照を伴う月は美しい 雨で空気が洗われて、透明度が高い空となった。もう数日すると黄砂が飛来するらしい。澄んだ空と東方最大離角を翌日に控えた水星 黄砂飛来前のぎりぎりのタイミングだった ---------------------------------------------------- 85mm、ISO100、f2.8、1/3秒、マニュアルWB、Raw 高感度NRはoff、長秒時NRはoff、三脚で固定撮影、金生山 SONY α7RM5 + FE 85mm F1.4 GMⅡ 2026年02月19日18時18分 |

| 春の星空 は 宇宙の窓 外気温は氷点下。久し振りに恐ろしく寒い。空気は乾燥しているようで、結露の心配はなさそうだが、油断はできない。結露防止ヒーターを巻き付ける 林道は雪の山に囲まれて、まるで冷凍庫の中にいるみたいだ。空気が冷たい 今夜は、光害は、ほぼない あるのは漆黒の夜空のみ 春の星空は冬の星空に比べて地味だと言われる。確かに煌めく1等星がひしめく冬の星空に比べて、おとなしい印象を受ける ちょうど天の川銀河の外側を見ていることになるからで、天の川が邪魔をしない分、遠くの系外銀河が天の川に遮られずに見られるということでもある。これを称して「春の星空 は 宇宙の窓」という 上の写真の写野は東天から少し南に振っている 北斗七星から続く春の大曲線。やや赤味を帯びた、うしかい座のアルクトゥールス。そこから、右の山際に姿を見せるおとめ座のスピカへとのびる。春霞に邪魔をされずに春の大曲線が見られることは、あまりない 北斗七星の右にはしし座。ししの大鎌と、そこに輝くレグルス。上方には かに座のプレセペ星団 派手さのない春の星空。私は嫌いではない ---------------------------------------------------- 12mm、ISO800、f2.8、90秒、マニュアルWB、LEE SP-31 ソフト №1、Raw 高感度NRはoff、長秒時NRはon、赤道儀で恒星追尾撮影、揖斐谷 SONY α7RM5 + FE 12-24mm F2.8 GM 2026年02月17日23時39分 |

| 2026年2月 光あふれる夜空に 星空を探す 早くも春霞の季節を迎えている。透明度の悪い夜空に、光害が一層邪魔をする 揖斐谷は未だ積雪の季節。林道は落石と土砂崩れによって入ることは難しく、仕方なく町へ出て星空を探す。眼の病気があるので、遠出できないことはつらい さて上の写真。天頂から少し西へと振っている 写野右下にはオリオン座の三つ星が並び、その上にはベテルギウスとベラトリクス。オリオン座が登場する時にはベラトリクスが真っ先に登場し、三つ星が斜めになって地上に上る。春になると三つ星は横に並ぶようになる 上の写真では相変わらず木星が強烈な存在感を放っている。雲に邪魔されてはいるが、ベテルギウスとプロキオンを結んだ線上、ややベテルギウス寄りのところに いっかくじゅう座 の ばら星雲 が見える ふたご座 のカストルとポルックスの東には かに座 の宝石箱に例えられる プレセペ星団 が見える。その左上には しし座 の ししの大鎌 がある。青白く光る1等星がレグルス。しし座では最も明るい恒星だが、全天の1等星の中では一番暗い 夜空の星を見上げていると、急に涙がこぼれそうになることがある。きっと歳のせいだろう 遠州森町の古い友人は、高齢者ではなく独居老人だという。言えて妙で、なかなか気に入っている マイタウンの舟橋武志さんは70歳を迎えた時に、みんな死んでいく、と歎いた。還暦の時には何とも思わなかった、という。今は私もよく分かる もう一昨年のことになる。某教育委員会の文化財担当者から問い合わせがあって、私が高校1、2年生の時の調査資料と写真を、今になって提供したことがあった。担当者には、1972年11月の歴史民俗資料館(当時)のオープンに合わせて、整理を終えた資料、セクション図などの調査時の実測図、調査時の写真など全資料を渡しているはずと伝えると、資料を収蔵していたプレハブが撤去された際に一緒に廃棄されたようで何も残っていない、という。お粗末な話では済まされない 岐青考の方針として、調査資料などは遺跡所在地から離れて保管するべきでなく、あくまでも遺跡と遺物は一体として保存されるべきと考えていた 緊急調査を実施したのは1972年4・5月の春の連休のことだった。私が高校2年に進級したばかりのことだ。調査時の写真に写っている岐青考の仲間のうち、2名が鬼籍に入っている。1人は私の中学1年生からの、考古学研究仲間だった。昨年12月のぎふチャン・アートギャラリーに来てくれた中学・高校時代の同級生から他界を教えられた。言葉がなかった 私が中学3年生の時に結成した岐青考(岐阜青年考古学研究会)。結成時のメンバーは、中学3年が2名、社会人が1名、大学生が1名。あれから55年の月日が流れた 私たちのスローガンは地域史としての大衆的考古学の創造。その精神は 徳山村の歴史を語る会 - 徳山村の自然と歴史と文化を語る集い(徳山村ミニ学会) - 揖斐谷の自然と歴史と文化を語る集い(揖斐谷ミニ学会) へと流れ続けた。私たちの生の誇りだ 歳をとっても「岐阜青年考古学研究会」を名乗るのか、と東海地方で著名な研究者から度々からかわれたものだった。現状への安易な妥協を排して、常にナイーブな感性を持ち続けたい、その焔をいつまでも高く掲げ続けたい、その思いは今も変わらない。これからも変わることはない ---------------------------------------------------- 20mm、ISO400、f2.0、30秒、マニュアルWB、サイトロン スターエンハンサー、Raw 高感度NRはoff、長秒時NRはon、赤道儀で恒星追尾撮影、揖斐谷 SONY α7M4 + FE 20mm F1.8 G 2026年02月13日23時03分 |